アルトゥールの移籍が近い理由をバルセロナの財政面から考える

バルセロナユベントス間でのアルトゥールとピャニッチのトレードが海外サッカー界で今話題になっていますね。バルサファンの方々の失望の声をSNS上で頻繁に目にします。私も今回のトレードを聞いた時は、「なぜアルトゥールが移籍?シャビの後継者ではなかったのか」と不思議に思ったので、財務情報を漁ってその理由を考えてみました。このジャンルで有名なSwiss Rambleさん(Twitter: @SwissRamble)を参考にしているので、内容的に被る部分があるかと思いますが、ご了承ください。

 

1. バルセロナの損益

 

はじめに、今回の移籍の必要性を考えるために損益面に注目します。下の図は、選手売却の利益が当期純利益に与える影響を示すグラフです。公式HPに英語版が存在する2013/14以降の財務諸表をもとに作成しました。2019/20については、2018/19の財務諸表に記載されている来季の予算を参照しています。

 

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最初に注目するのが「選手売却による利益」を表す折れ線グラフです。グラフから2017/18を境に、数値が急上昇していることがわかります。また、2016/17までの4年間と2017/18以降の3年間のそれぞれの平均を比較すると、4.2倍も利益が増加しています。

次に注目するのが「調整後税引前当期純利益」と記された濃いオレンジの棒グラフです。これは、「税引前当期純利益 – 選手売却による利益」から算出したもので、選手売却による利益を除いた全体の利益を表します。グラフを見ると、2017/18以降から棒が著しく下に伸びていることがわかります。これが意味するのは赤字の急増です。上記と同様の期間平均を比較しても、大幅な赤字を記録していることが一目瞭然です。一方、「税引前当期純利益」は7年通して黒字で、安定した動きを示しています。

 

以上から、次の2点が指摘できます。まず、それまで存在した収益と費用の均衡が2017/18に崩れたことです。これに関する詳細な分析はこの記事では割愛しますが、財務諸表を比較すると、収益の伸び以上に人件費や選手登録権の償却費(詳しくは後述)が増加したことが原因かと思われます。

もう1つは2017/18以降、選手売却による利益でその他の赤字を埋め合わせて全体の黒字を実現するというスタイルを取っていることです。予算を見る限り、2019/20も同様の方式で黒字化のために動くと予想できます。

したがって、バルサにとって今季中に€109mの選手売却による利益を生み出すことは、黒字を実現する上での重要事項であると言えます。もっとも、新型コロナウイルスの感染拡大による大幅な収益減やFFPの緩和などで当初の予算とは異なる数値目標を掲げている可能性は高いですが、便宜上予算に沿って活動していると仮定して話を進めます。

 

2. 選手売却による利益(2019-20)

 

次に、昨夏の移籍市場から計測してバルサがあと利益がどれだけ必要なのかを概算します。注意しなければならないのは、2019年6月30日以前に契約に合意した場合(レンタル移籍の買取オプションの行使を含む)、その選手の売却による収益は選手登録権が移行した分のみ2018/19の帳簿に計上されることです。登録権の移行は、契約の合意から遅れて実施されるケースがあります。クラブの財務報告書は6月30日以前に移籍契約に合意した選手のうち、誰の登録権がいつ移行したかを公表していないため、財務諸表から収益を正確に把握するのには限界があります。

その上で、この記事では6月30日以前に移籍した選手の収益は、原則として2018/19で認識したと仮定します。なお、シレッセンについては7月1日以降にバレンシアに選手登録権が移行したとの報道が確認できたため、シレッセンの移籍による収益のみ2019/20で計上します。また、通常のレンタル移籍による収益は「その他営業利益」として別に計上するため、ここでは無視します。

 

以上を踏まえると、2019/20に売却されて利益が発生した選手は以下の4人です。

 

この4人の移籍がどれだけの利益をもたらしたのかを会計処理の説明を交えて説明していきます。クラブが選手を獲得したとき、移籍金などのコストはすぐに全額認識されず、無形固定資産として帳簿に計上されます。この資産は「選手登録権 (player’s registration rights)」などと呼ばれ、選手の契約年数で定額法で減価償却します。つまり、選手の契約期間に渡って費用を均等に計上するということです。なお、選手が契約延長した場合は新たな契約年数で償却するので、毎年計上する費用の額が変動します。マルコムを例に、実際の処理を見ていきます。

 

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マルコムの場合、ボルドーからの移籍金の€41mで選手登録権を資産計上します。この金額は契約年数の5年で償却していくので、2018/19分の費用は€8.2mです。また、この費用の分だけ選手登録権の簿価(帳簿上の価格)を切り下げます。よって、2018/19終了時の簿価は€32.8mです。減価償却は、選手の契約満了または売却まで継続します。

選手売却による収益は、売却時に受け取る移籍金と放出する選手登録権の簿価との差額を指します。マルコムの例では、前者が€40m、後者が€32.8mなので差額の€7.2mが利益です。この収益は一度に全額認識します。この取引の仕訳は、以下の通りです。

 

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シレッセンの移籍はネトとのトレードなので正確な処理は異なりますが、ここではシレッセンに€35mの移籍金が支払われたと仮定して処理します(詳しくは後述)。

パレンシアとペレスのような下部組織上がりの選手は選手登録権が計上されていないため、売却時に受け取る移籍金を全額収益として計上します。減価償却も発生しません。なお、ペレスの移籍は買取義務付きレンタル移籍ですが、この場合は完全移籍と同様とみなし、レンタル料と買取価格の合計をレンタル移籍完了時(2020年1月30日)に収益として全額認識します。

残りの3人も上記のルールにしたがって計算すると、選手売却による利益の合計は€51mです。予算で設定された€109mとの差額は€58mで、依然として差が存在することがわかります。アルトゥールの移籍によって、この差額がどれだけ埋め合わせられるのかを最後に見ていきます。

 

3. アルトゥール – ピャニッチのトレードの影響

 

トレードによってどれだけ収益が発生するかを確認します。トレードの会計処理は、完全移籍時とは若干異なります。この会計処理を理解するために「公正価値 (fair value)」という概念についてまず触れておきます。

公正価値を大雑把に定義すると、ある測定日における資産や負債の市場での評価額のことです。公正価値の測定は、証券のように観測可能な市場価格や類似の金融商品が存在する場合はそれらを参照しますが、存在しない場合は企業による概算や市場関係者の予想をもとに行います。選手獲得権の公正価値は、後者の方法で測定されると考えられます。測定方法に関しては会計基準で規定がないため、観測可能な市場価格が存在しない資産や負債の公正価値には絶対的な正解がありません。

 

さて、長ったらしい説明を終えたところで本題に入ります。無形固定資産の交換について定めたIFRS国際財務報告基準)内のIAS 16およびIAS 38を参照すると、選手同士のトレードでは売却する選手の公正価値と簿価の差額を収益として計上します。そして、新たに獲得する選手をその選手の公正価値で資産計上します。実際の処理を見ていきます。

 

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バルサの処理から見ていくと、アルトゥール獲得時の移籍金は€31mで、2年間償却したので現在の簿価は€20.7mです。各種報道によると、アルトゥールの公正価値(市場価格)は€80mとのことなので、差額の€59.3mを収益として全額計上します。

 

一方、ユーベの処理はやや複雑です。€32mで獲得したピャニッチは2018年8月に5年間の契約延長にサインしているため、2018/19以降の償却費が変動します。2018/19以降は、2017-18終了時の簿価の€19.2mを5で割った€3.84mの償却費を毎年計上していきます。すると、ピャニッチの2019-20終了時の簿価は€11.5mです。ピャニッチの公正価値は€70mなので、差額の€58.5mをユーベは収益として計上できます。この取引の仕訳は、以下の通りです。

 

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双方に巨額の収益が生まれていることがわかります。現金は公正価格の差額の埋め合わせに使われています。ちなみに、先述したシレッセンとネトのトレードも今回のトレードと同様の方式で仕訳を切ることができます。各種報道によると、シレッセンには€35mの公正価格が付いていたので€35mと選手登録権の簿価(€5.2m)の差額の€29.8mを収益として計上しています。

したがって、今回のトレードでバルサが計上できる収益は€59.3mで、これまでの利益(€51m)と合算すると選手売却による利益は€110.3mです。予算を€1.3m上回りました。以上より、アルトゥールの移籍によって選手売却による利益が予算の数字に一気に近づいたことがわかります。

 

4. おわりに 

 

大雑把な概算ではありますが、アルトゥールの移籍がもたらす利益が財政上必要であったと多少は説得力を持って言えるのではないでしょうか。「放出されるのがなぜアルトゥールなのか」という疑問に対する答えも色々あるでしょうけれど、財政面から1つ考えられるのは公正価値と簿価の差額が大きいことです。アルトゥールの他にこの条件に該当しそうな選手はメッシ、ブスケツ、アルバ、ラングレ、テアシュテーゲンくらいでどの選手も非売品感が強いです。もちろん、アルトゥールも非売品のはずなのですが...

ユーベも同様の理由でピャニッチの放出を決めたと考えられます。注意が必要なのは損益改善のメリットは今季のみで、それ以降はトレード前よりも大きい償却費を毎年計上することになります。 選手登録権の償却費の負担が大きいバルサにとって、今回のトレードは浪費問題の解決を先送りにしていると言わざるを得ません。

公正価値の妥当性に関する議論は、これから加熱するかもしれません。アルトゥールはまだしも、今年で30歳のピャニッチに€70mの価値があるかということを疑問に思う人が多くても仕方がないと思います。 

最後に注意事項として、この記事で使用した数字は概算で算出された額に過ぎないので、実際の数字とは異なります。特に、6月30日以前の選手売却の収益をいつ計上するかで全体の数字が大きく変わることに再度言及しておきます。もしも間違った情報や計算がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。