クロエンケがアーセナルの負債の返済を手伝う件について

アーセナルのオーナーであるクロエンケ率いるKSE(Kroenke Sports & Entertainment)がクラブの社債の早期償還目的で融資を行うという話が飛び込んできました。社債の早期償還とは社債が満期日を迎える前に、保有者に払い戻しを行うことです。借金の早期返済という表現がわかりやすいかもしれません。

償還に関する情報は、こちらのロンドン証券取引所のニュースから確認できます。

https://www.londonstockexchange.com/news-article/57MA/notice-to-redeem-two-series-of-outstanding-bonds/14608523

 

今回の記事では、この社債の早期償還について財務報告書を交えて見ていきます。

かのSwiss Rambleさんがすでに取り扱っているので、内容的に被る部分は大アリですが、ご了承ください。

 

1. 2種類の社債

 

まず、ニュースの情報から社債について見ていきます。今回償還予定の社債エミレーツ・スタジアムの建設関連で2006年7月に発行されたもので、2種類存在します。詳細は以下の通り。

 

固定利付債:額面価格£210m / 固定金利5.14% / 満期2029年

変動利付債:額面価格£50m / 金利スワップにより固定金利5.75% / 満期2029年

 

固定利付債は、金利があらかじめ設定されている社債です。一方、変動利付債は特定の指標(このケースではLIBOR)に従って金利が変動する社債です。今回のケースでは金利スワップが発生しているので、変動利付債も固定金利に従って利息が発生しますが、2種類の社債は上記の表記で呼び分けます。この辺の処理はややこしいので、額面価格以外は無視していただいても構いません

 

次に、社債の早期償還額を見ていきます。社債の償還に関する条件は、以下の通り。

 

固定利付債:額面価格£50,000の社債につき、£33,341.66の支払い(おそらく利息を含む)

変動利付債:£50mの支払い(利息を含むので正確には£50,077,096.44)

 

固定利付債全体の額面価格が£210mなので、固定利付債の償還額の合計額は、

£210m ÷ £50,000 × £33,341.66 = £140m(£140,034,972)

 

固定利付債の利息を別に計上する場合は金額が若干高くなりますが、社債の償還額の合計は大体£190mくらいかと思われます。利息に関しては、私の英語力不足ゆえに完全に理解し切れていない部分です。

償還額を見ると、固定利付債の償還額は額面価格(£210m)を下回るのに対し、変動利付債は償還額と額面価格(£50m)がほぼ一致していることに気が付きます。これより、固定利付債の償還は過去にも何度か行われてきた一方で、変動利付債の償還は満期時にのみ行われると予測できます。

 

2. 財務報告書との関連

 

次に、社債に関する項目を財務報告書で確認します。使用する財務報告書は、2018/19のものです。社債→利息→借入返済準備金口座の順番で見ていきます。

 

早速社債から見ていきましょう。以下の表は、支払義務のある負債の内訳と社債が占める割合を示したものです。

 

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固定利付債に注目すると、残高の減少(£9m)から社債が一部償還されていることがわかります。2018/19時点の残高は£121mなので、£210mとの差額の£90m程度がすでに償還されたということでしょう。一方、変動利付債を見ると、残高はほとんど変化していません。変動利付債は、償還がまだ行われていないのです。額面価格の£50mとの間にわずかな差があるのは、社債発行時の費用(費用総額 - 減価償却累計額)を元本(£50m)から差し引くためです。発行費用は資産計上して満期まで定額法で減価償却していくので、最終的にゼロとなって負債は£50mに達します。

固定利付債に焦点を戻します。固定利付債の残高が1年間で£9m減少していることを踏まえ、2019/20時点の残高を£112mだと仮定します。すると、先ほど算出した固定利付債の早期償還額は£140mだったので、利息込みとはいえ残高より多めに償還していることになります。社債の早期償還では負債額より多めに支払うケースが大半なので、これも例に漏れずってところですね。反対に、変動利付債は早期償還の影響が見られませんが、詳細は不明です。

ちなみに、ロンドン証券取引所のニュースでは固定利付債の償還額は元本の残高の1.230852倍と一致と書かれているので、償還額をこの倍率で割って元本の残高を算出すると、£114mという数字が出てきます。利息の処理等でミスがありそうですが、£112mともかなり近いので、元本の残高は大体このくらいと見て問題なさそうです。

社債が支払義務のある負債に占める割合は、50%を超えています。結構多いものですね。

 

次に、支払利息を見ていきます。支払利息は、固定利付債の分と変動利付債の分を合算して表示しています。

 

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2年間を見る限り、利息の支払額は毎年£11m前後です。社債を返還してしまえば利息の支払いも終了するので、この程度の額を毎年浮かすことができます。なお、KSEからの融資をクラブは借入金として処理するはずなので、新たな利息の支払いが発生すると考えられます。借入金の利率が現在の社債よりも低ければ効果的だと思いますが、詳細は不明なので何とも言えません。

 

最後に、借入返済準備金口座(Debt Service Reserve Account / 以下、DSRAと表記)です。これは、将来の社債の償還に備えて資金を積み立てるために使用する口座で、償還以外の用途では使用できない現金を含みます。社債を償還してしまえば、この用途制限は解除されると考えられます。

 

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2018/19時点の残高は£37mなので、社債を償還すると£37mが自由に使用可能になると考えられます。とは言っても、借入金の返済用に新たなDSRAを設置する可能性もあり得るので、どれだけの額が本当の意味で自由に使えるかは不明ですね。

 

3. おわりに

 

以上の内容をまとめると、社債の早期償還の影響として次の2点が指摘できます。

 

- 年£9m程度の元本の支払い、年£11m程度の利息の支払いが終了

- £37mの現金が自由に使用可能に

 

もちろんKSEからの借入金の返済条件等を見ないことには、どれだけの負担軽減に繋がるかは断言できません。まあ早期償還をしたからには、借入金の返済条件が社債のよりも財政的に優しいことを期待するのが妥当かと思います。

今回の早期償還は、補強に使える資金の増加を意味する可能性もありますし、案外そうでもないのかもしれません。今後の動きは注目に値しますが、借入金に左右される部分が大きいですね。

読解にあまり自信がないので、情報の誤り等があればご指摘いただけると幸いです。

【2018/19まで】バルセロナの財政について【後編】

2つ前の記事で「バルサの収益と費用の均衡が2017/18に崩れた」という話に触れ、前回の記事では損益計算書を比較してその実態を確認しました。

そして、前回の記事の最後に「次回の記事では費用についてもう少し掘り下げる」なんて一文を残しましたが、つまらない記事が出来上がる予感がしたので、あの一文はなかったことにさせてください(申し訳ございませんでした)。

その代わりに、キャッシュ・フロー計算書貸借対照表にも視野を広げることで、このテーマに関する理解をさらに深められたらと思います。

 

前回の記事はこちら。損益計算書を振り返っていただくと、今回の記事が読みやすくなるかと思います。

kaikeiminarai.hatenablog.com

 

1. キャッシュ・フローの推移

 

最初に見るのがキャッシュ・フロー計算書です。本題に入る前に、キャッシュ・フロー(CF)に関する少々長めの説明です。

キャッシュ・フロー計算書とは、会計期間における企業の現金の流れを示した表です。キャッシュフロー計算書を見ることで、1年間にどれだけの現金が流入、流出したかを確認できます。計算書上の数字は、現金が流入すればプラス、流出すればマイナスになります。

キャッシュ・フロー計算書では、①営業CF、②投資CF、③財務CFの3つの観点から現金の流れを把握します。計算書上でもこの分類で表示される場合がほとんどです。会計年度初めの現金残高に、3つのCFの合計を加算することで決算日の現金残高が算出されます。

それぞれが何を示すかは、以下の通り。

 

- 営業CF

営業活動による現金の流れ。クラブの場合、チケットや放映権収入から給料の支払いまでその範囲は多岐にわたる。残りの2つに該当しないCFは、基本的に営業CFだと判断して問題ない。損益計算書上の税引前当期純利益を調整して算出する。営業活動の成果と関係するので、合計はプラスが望ましい。 

- 投資CF

主に固定資産の売買による現金の流れ。クラブの場合、選手の売買で発生する移籍金が該当。計算書上の数字は、選手売却で移籍金を受け取ればプラス、選手獲得で移籍金を支払えばマイナス。投資の目的は営業活動での利益の獲得なので、合計はマイナスが望ましい

- 財務CF

社債や銀行からの借入金に関する現金の流れ。計算書上の数字は、借金をすればプラス、返済をすればマイナス。合計のプラマイの評価は、他の2つのCFの状態に左右されるので一概には言えない。

 

以上の合計が全体のCFになります。ちなみに、営業CFと投資CFを合算してフリーキャッシュフロー(FCF)と呼びます。FCFは営業・投資活動の結果として手元に残るお金なので、基本的にプラスが望ましいです。マイナスの状態が続く場合、現金が減少する一方なので銀行からの借り入れや社債の発行が必要になります。

 

以上を踏まえ、サッカークラブのキャッシュ・フロー計算書を見る上で押さえておきたいポイントは次の2点です。

1点目は、選手売却で受け取った移籍金は投資CFをプラスにする一方、発生した収益は営業CFをマイナスにすることです。前者については投資CFの説明で言及した通りですが、理解しづらいのは後者だと思います。これは、営業CFが税引前当期純利益を基準に計算し、損益の発生と現金の流れが一致しないためです。アルトゥール移籍の記事で取り扱ったマルコムの移籍を例にこの現象を説明します。

 

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借方で現金の流入、貸方で収益を計上します。バルサは現金と選手登録権の簿価の差額の€7.2mを収益として損益計算書で計上しました。これは税引前当期純利益を算出する上で、€7.2m分プラスに作用しますね。そして、この移籍で受け取った€40mは全額投資CFを増加させます(一括払いと仮定)。ここで、税引前当期純利益を基準に計算する営業CFで売却益の€7.2mを計上したままにすると、この移籍で流入した現金がCF全体で€47.2mとなってしまい、現金の二重計上が発生します。 ゆえに、税引前当期純利益から€7.2mを差し引く必要があるので、売却益は営業CFを減少させます。

 

2点目は、減価償却費は営業CFをプラスにすることです。考え方自体は選手の売却益と同じですが、こちらの方がイメージしやすいと思います。減価償却費は毎年定額で計上していきますが、この処理の中で現金は一切動いていません。よって、減価償却費の分だけ税引前当期純利益を加算、すなわち営業CFを増加させます。

このように、現金が移動していない損益を税引前当期純利益に加減算して現金の流れのみを把握するのが営業CFの算出方法です。

 

前置きがだいぶ長くなりましたが、 本題に入ります。

以下の図表は、直近10年間のバルサキャッシュ・フローを表しています。濃い青の棒グラフがFCF、薄い青の棒グラフが財務CF、折れ線グラフが全体(合計)のCFです。

 

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グラフを見ると、2017/18からFCFのマイナスが拡大しています。また、財務CFが2018/19にプラス方向に一気に伸びています。2010/11から2016/17の期間と見比べると、違いが顕著ですね。2017/18の現金の期末残高(€40m)と2018/19のFCF(-€87m)を合算するとマイナスになるので、現金不足の結果として借り入れ等を行わざるを得なかったと推測できます。

続いて表に注目すると、2017/18の営業CFの€1mという数字が一際目立ちます。この年度だけなぜ数字が著しく小さいのかは、損益計算書に立ち戻ると見当がつきます。2017/18は選手等の給料と減価償却費が大幅に増加したため、ネイマールをはじめとする選手売却による利益で黒字を実現しました。先ほど説明したように、選手の売却益は営業CFを減少させます。一方の減価償却費は営業CFを増加させますが、このケースでは「選手売却による利益>減価償却費」であるため、営業CFが縮小したというわけです。同じく選手売却による利益で黒字を実現した2018/19で営業CFの数字が改善しているのは、「減価償却費>選手売却による利益」だったことが一因として挙げられます。

2018/19の投資CFの-€203mという数字も突出していますね。2018/19のバルサは選手獲得にここまでの移籍金を費やしていないので、前年度以前からの支払いが繰り越されていると考えられます。主に、2017/18のコウチーニョデンベレの影響でしょう。

 

キャッシュ・フロー計算書から現在のバルサ直近10年で類を見ないレベルの借り入れや社債の発行をしてまで補強に注力していることがわかりました。財政的に問題ないのかは断言しかねますが、借入金や社債がこれだけ急速に拡大するとさすがに懸念が募りますね。今後発表される2019/20も、グリーズマンやデヨングなどの大型補強でFCFがマイナスを記録する可能性が十分にあるので、CFのモデル転換を期待しにくいのが現状かもしれません。もちろん、今夏の動き次第でもあります。

次のパートでは、財務CFとの関連から負債について見ていきます。

 

2. 負債の内訳と推移

 

負債の実態を掴むために使用するのが貸借対照表です。貸借対照表は、会計期間における企業の財政状態を「資産・負債・資本」の観点から示した表です。負債は流動負債と固定負債に分類され、両者の違いは支払期限です。決算日から1年以内に支払日が到来するのが流動負債で、1年を超えるものが固定負債です。

 

まず、直近10年間の流動負債と固定負債の推移を比較します。

 

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両者を比較すると、伸び方に大きな違いがあることがわかります。流動負債は着実に増加しているのに対し、固定負債は一時期減少しつつあったものの、2017/18から急速に増加しています。この時点で、財務CFの動きと関連が深いのは固定負債だと予想できます。ということで、ここからは固定負債に注目していきます。

 

固定負債の内訳と推移を見ていく前に用語の定義を確認します。固定負債は、「未払額:他クラブ、未払額:選手、借入金、社債、その他」で分類します。財務報告書を参照すると、前者2つの定義は以下の通り。

 

- 未払額:他クラブ

選手を獲得した際に他クラブに支払う移籍金の未払額。

- 未払額:選手

選手との契約更新で発生したボーナスの未払額。他の項目も含みそうだが、詳しくは言及されておらず。

 

それでは、固定負債の内訳と推移を見ていきましょう。

 

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やはり2018/19が突出しています。その他を除く4項目全てが前年比で増加しています。中でも、社債は直近10年ではじめて発行されたことが明らかに。社債の方が借入金よりも多額の資金を調達できるケースが多いので、これくらいの額を調達するには借入金と合わせて社債の発行が必要だったということでしょうね。

他クラブへの移籍金の未払額も€181mと急増しています。過剰な選手補強の影響が見られる数字です。図表は割愛しますが、支払期限が1年以内の流動負債の分と合わせても増加傾向にあります。

 

最後に、有利子負債(借入金と社債)について見ていきます。以下の表は、2018/19時点の有利子負債の支払時期と支払額を示しています。借入金は、流動負債の分も含めて表示しています。

 

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2023/24に€197mの支払いを迎える社債が圧倒的に目立ちます。財務報告書によると、バルサが2018/19に発行した4つの社債の合計額です。これらの社債は割り引いて発行されているので、満期時の価格は€200mに達します。用途や発行の経緯は明記されていませんが、CFのパートで確認したように選手補強で資金が必要だったというのが経緯でしょう。

借入金は2020/21の支払額が大きめですが、全体的に取り上げるほどではないですね。

 

社債の償還を迎える2023/24に向けて、FCFの数字を徐々に改善していくことが望ましいと思われますが、どうなるかはわかりません。社債をさらに発行できる余裕があるのかもしれませんが、外部の人間には知り得ない領域の話です。発行できない場合は現在の大型補強路線の転換を迫られる気がしますが、どうなるんでしょうね。今後の動きに注目ですね。

 

3. まとめ

 

以上の内容と前回の記事を踏まえると、以下の図式で示した仮説が導けるかと思います。

 

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過剰な選手補強が現在の財政状況を招いたと考える見方です。左側の部分については、前回の記事で触れています。

斬新な発見があったわけではありませんが、データを整理することで現状が理解しやすくなったと思います。

 

3本連続でバルサだったので、次回の記事では別のクラブを取り扱ってみようかと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

【2018/19まで】バルセロナの財政について【前編】

アルトゥール移籍の財政的理由を検討した前回の記事で、2017/18に「収益と費用の均衡が崩れた」という話に触れましたが詳細には言及しませんでした。

今回の記事では、実際にデータを見ていきます。

 

前回の記事はこちら。サッカークラブ会計の基本的な処理についてもこちらで触れています。

kaikeiminarai.hatenablog.com

 

損益計算書の比較

 

損益計算書とは、収益と費用から企業の経営成績を示す表のことです。この表を見れば、企業が1年間にどれだけの利益(収益  費用)を生み出しているかがわかります。 したがって、今回のテーマに適した財務諸表というわけです。なお、サッカークラブの場合の1年間は、20X1年7月1日から20X2年6月30日を指します。

損益計算書を見る前に用語の定義だけ最初にしておきます。独自に定義しているのもあるので。

 

- 売上高(+)

選手売却による収益と金融収入(受取利息など)を除いた全ての収益。選手売却による収益も本来は計上するが、今回はあえて除外。

- 営業費用(−)

金融支出(支払利息)と減価償却費を除いた全ての費用。選手・スタッフの給料や売上原価などが該当。費用科目は赤で色分けしてあります。

- EBITDA

正式名称「Earnings Before Interest, Tax, Depriciation, and Amortization」。税引前当期純利益に支払利息と減価償却費を加えた指標。今回は「EBITDA = 売上高 - 営業費用」と独自に定義。

- 減価償却費(−)

前回の記事でも登場した固定資産にかかる毎年定額で計上する費用。

- 金融収支(+/−)

主に借金の利息の収入と支出を合算したもの。収入>支出ならプラス、逆ならマイナス。

 

以上を+/−にしたがって計算すると、「税引前当期純利益 - 選手売却による利益」が算出されます。前回の記事では、調整後当期純利益と呼んだやつです。これに選手売却による利益を加算すれば、税引前当期純利益にたどり着きます。

それでは、損益計算書を見ていきましょう。最初に比較するのは、2016/17と2017/18です。

  

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上から順に見ていくと、売上高の伸び率はわずか3.4%で1年間であまり変化していません。 

営業費用内の項目を比較すると、「給料 - スポーツ関係」という項目が€146.8mも増加しています。これは選手やチームスタッフなど競技に直接関わる人員の給料(ボーナス・解雇給付も含む)を指します。営業費用全体では€155.7m増加していますが、大部分を選手等の給料が占めることがわかります。

EBITDAは、2016/17が€89.5mの黒字の一方、2017/18は€43.3mの赤字という真逆の結果になりました。営業費用の増加の影響が見られます。

次に減価償却費を計上します。減価償却費は、選手登録権(詳しくは前回の記事)とその他固定資産(施設などの固定資産)で区分します。その他固定資産の減価償却費は変化がほぼないのに対し、選手登録権の減価償却費は€51.6mも増加しています。

最後に金融収支を加味すると、前回の記事で算出した「税引前当期純利益 - 選手売却による利益」の数字にたどり着きます。2017/18は、前年を遥かに上回る€187.6mの赤字を計上しています。

 

以上の比較で判明したのは、収益の伸び以上に選手等の給料と選手登録権の減価償却費が膨張していたことです。2017/18の財政状態は誰がどう見てもマズいので、気になるのはこれがその後どうなったかです。ということで、2017/18と2018/19を続いて比較します。

 

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売上高の成長が著しいですね。特に顕著なのが前年比€110.7m増の放映権収入です。「デロイト・フットボール・マネー・リーグ 2020」によると、この増収は2018/19からスタートしたUEFA新しい放映権契約とCLベスト4進出が要因だそう。商業収入の増加は、ライセンスや商品の管理体制の刷新による効果とのことです。

営業費用は全体で前年比€45.1m増で、1つ前の比較ほど劇的な変化はないですね。選手等の給料に至ってはたった€4.5mの増加、伸び率にするとわずか0.9%です。前年比で見るとその他営業費用の増加が目立ちます。内訳を確認したところ、売上原価の増加が要因でした。これは商品の製造や仕入にかかった費用で、商品売り上げ時に「売上(収益)」とともに計上します。すると、「売上 - 売上原価」が利益となります。上述した商業収入の増加と関連がありそうですね。

EBITDAは、€76.7mの黒字を示しました。なんと、前年比で€120mの増加です。だいぶ数字が改善しましたが、続きも見ていきましょう。

減価償却費は、1つ目の比較と同様に選手登録権の減価償却費が大部分を占めます。この減価償却費は€26.9mの増加で、選手等の給料より増加額が多いですね。

最後に金融収支を考慮すると、 2018/19の「税引前当期純利益 - 選手売却による利益」は€97.2mの赤字になりました。€187.6mの赤字を計上した前年度よりはマシですが、この段階での黒字化は2年連続で達成ならず。

 

こちらの比較では、収益が急増してEBITDAが黒字に回復したにも関わらず、「税引前当期純利益 - 選手売却による利益」は引き続き赤字だとわかりました。つまり、収益の成長で給料の増加分はカバーしきれても、減価償却費が黒字実現の許容範囲以上に拡大していたことがわかります。減価償却費の増加要因は選手獲得による選手登録権の増額だけなので、コウチーニョデンベレをはじめとする過剰な選手補強が財政悪化に寄与している実態を数字から見て取れます。

 

以上のように損益計算書を比較してみましたが、なんとも無難な内容になってしまったので、次回の記事では給料と減価償却費をもう少し掘り下げます。

 

...と発言しましたが、酷い出来になることが予想されたので、次回の記事ではキャッシュフロー損益計算書に視野を広げることにしました。

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アルトゥールの移籍が近い理由をバルセロナの財政面から考える

バルセロナユベントス間でのアルトゥールとピャニッチのトレードが海外サッカー界で今話題になっていますね。バルサファンの方々の失望の声をSNS上で頻繁に目にします。私も今回のトレードを聞いた時は、「なぜアルトゥールが移籍?シャビの後継者ではなかったのか」と不思議に思ったので、財務情報を漁ってその理由を考えてみました。このジャンルで有名なSwiss Rambleさん(Twitter: @SwissRamble)を参考にしているので、内容的に被る部分があるかと思いますが、ご了承ください。

 

1. バルセロナの損益

 

はじめに、今回の移籍の必要性を考えるために損益面に注目します。下の図は、選手売却の利益が当期純利益に与える影響を示すグラフです。公式HPに英語版が存在する2013/14以降の財務諸表をもとに作成しました。2019/20については、2018/19の財務諸表に記載されている来季の予算を参照しています。

 

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最初に注目するのが「選手売却による利益」を表す折れ線グラフです。グラフから2017/18を境に、数値が急上昇していることがわかります。また、2016/17までの4年間と2017/18以降の3年間のそれぞれの平均を比較すると、4.2倍も利益が増加しています。

次に注目するのが「調整後税引前当期純利益」と記された濃いオレンジの棒グラフです。これは、「税引前当期純利益 – 選手売却による利益」から算出したもので、選手売却による利益を除いた全体の利益を表します。グラフを見ると、2017/18以降から棒が著しく下に伸びていることがわかります。これが意味するのは赤字の急増です。上記と同様の期間平均を比較しても、大幅な赤字を記録していることが一目瞭然です。一方、「税引前当期純利益」は7年通して黒字で、安定した動きを示しています。

 

以上から、次の2点が指摘できます。まず、それまで存在した収益と費用の均衡が2017/18に崩れたことです。これに関する詳細な分析はこの記事では割愛しますが、財務諸表を比較すると、収益の伸び以上に人件費や選手登録権の償却費(詳しくは後述)が増加したことが原因かと思われます。

もう1つは2017/18以降、選手売却による利益でその他の赤字を埋め合わせて全体の黒字を実現するというスタイルを取っていることです。予算を見る限り、2019/20も同様の方式で黒字化のために動くと予想できます。

したがって、バルサにとって今季中に€109mの選手売却による利益を生み出すことは、黒字を実現する上での重要事項であると言えます。もっとも、新型コロナウイルスの感染拡大による大幅な収益減やFFPの緩和などで当初の予算とは異なる数値目標を掲げている可能性は高いですが、便宜上予算に沿って活動していると仮定して話を進めます。

 

2. 選手売却による利益(2019-20)

 

次に、昨夏の移籍市場から計測してバルサがあと利益がどれだけ必要なのかを概算します。注意しなければならないのは、2019年6月30日以前に契約に合意した場合(レンタル移籍の買取オプションの行使を含む)、その選手の売却による収益は選手登録権が移行した分のみ2018/19の帳簿に計上されることです。登録権の移行は、契約の合意から遅れて実施されるケースがあります。クラブの財務報告書は6月30日以前に移籍契約に合意した選手のうち、誰の登録権がいつ移行したかを公表していないため、財務諸表から収益を正確に把握するのには限界があります。

その上で、この記事では6月30日以前に移籍した選手の収益は、原則として2018/19で認識したと仮定します。なお、シレッセンについては7月1日以降にバレンシアに選手登録権が移行したとの報道が確認できたため、シレッセンの移籍による収益のみ2019/20で計上します。また、通常のレンタル移籍による収益は「その他営業利益」として別に計上するため、ここでは無視します。

 

以上を踏まえると、2019/20に売却されて利益が発生した選手は以下の4人です。

 

この4人の移籍がどれだけの利益をもたらしたのかを会計処理の説明を交えて説明していきます。クラブが選手を獲得したとき、移籍金などのコストはすぐに全額認識されず、無形固定資産として帳簿に計上されます。この資産は「選手登録権 (player’s registration rights)」などと呼ばれ、選手の契約年数で定額法で減価償却します。つまり、選手の契約期間に渡って費用を均等に計上するということです。なお、選手が契約延長した場合は新たな契約年数で償却するので、毎年計上する費用の額が変動します。マルコムを例に、実際の処理を見ていきます。

 

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マルコムの場合、ボルドーからの移籍金の€41mで選手登録権を資産計上します。この金額は契約年数の5年で償却していくので、2018/19分の費用は€8.2mです。また、この費用の分だけ選手登録権の簿価(帳簿上の価格)を切り下げます。よって、2018/19終了時の簿価は€32.8mです。減価償却は、選手の契約満了または売却まで継続します。

選手売却による収益は、売却時に受け取る移籍金と放出する選手登録権の簿価との差額を指します。マルコムの例では、前者が€40m、後者が€32.8mなので差額の€7.2mが利益です。この収益は一度に全額認識します。この取引の仕訳は、以下の通りです。

 

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シレッセンの移籍はネトとのトレードなので正確な処理は異なりますが、ここではシレッセンに€35mの移籍金が支払われたと仮定して処理します(詳しくは後述)。

パレンシアとペレスのような下部組織上がりの選手は選手登録権が計上されていないため、売却時に受け取る移籍金を全額収益として計上します。減価償却も発生しません。なお、ペレスの移籍は買取義務付きレンタル移籍ですが、この場合は完全移籍と同様とみなし、レンタル料と買取価格の合計をレンタル移籍完了時(2020年1月30日)に収益として全額認識します。

残りの3人も上記のルールにしたがって計算すると、選手売却による利益の合計は€51mです。予算で設定された€109mとの差額は€58mで、依然として差が存在することがわかります。アルトゥールの移籍によって、この差額がどれだけ埋め合わせられるのかを最後に見ていきます。

 

3. アルトゥール – ピャニッチのトレードの影響

 

トレードによってどれだけ収益が発生するかを確認します。トレードの会計処理は、完全移籍時とは若干異なります。この会計処理を理解するために「公正価値 (fair value)」という概念についてまず触れておきます。

公正価値を大雑把に定義すると、ある測定日における資産や負債の市場での評価額のことです。公正価値の測定は、証券のように観測可能な市場価格や類似の金融商品が存在する場合はそれらを参照しますが、存在しない場合は企業による概算や市場関係者の予想をもとに行います。選手獲得権の公正価値は、後者の方法で測定されると考えられます。測定方法に関しては会計基準で規定がないため、観測可能な市場価格が存在しない資産や負債の公正価値には絶対的な正解がありません。

 

さて、長ったらしい説明を終えたところで本題に入ります。無形固定資産の交換について定めたIFRS国際財務報告基準)内のIAS 16およびIAS 38を参照すると、選手同士のトレードでは売却する選手の公正価値と簿価の差額を収益として計上します。そして、新たに獲得する選手をその選手の公正価値で資産計上します。実際の処理を見ていきます。

 

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バルサの処理から見ていくと、アルトゥール獲得時の移籍金は€31mで、2年間償却したので現在の簿価は€20.7mです。各種報道によると、アルトゥールの公正価値(市場価格)は€80mとのことなので、差額の€59.3mを収益として全額計上します。

 

一方、ユーベの処理はやや複雑です。€32mで獲得したピャニッチは2018年8月に5年間の契約延長にサインしているため、2018/19以降の償却費が変動します。2018/19以降は、2017-18終了時の簿価の€19.2mを5で割った€3.84mの償却費を毎年計上していきます。すると、ピャニッチの2019-20終了時の簿価は€11.5mです。ピャニッチの公正価値は€70mなので、差額の€58.5mをユーベは収益として計上できます。この取引の仕訳は、以下の通りです。

 

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双方に巨額の収益が生まれていることがわかります。現金は公正価格の差額の埋め合わせに使われています。ちなみに、先述したシレッセンとネトのトレードも今回のトレードと同様の方式で仕訳を切ることができます。各種報道によると、シレッセンには€35mの公正価格が付いていたので€35mと選手登録権の簿価(€5.2m)の差額の€29.8mを収益として計上しています。

したがって、今回のトレードでバルサが計上できる収益は€59.3mで、これまでの利益(€51m)と合算すると選手売却による利益は€110.3mです。予算を€1.3m上回りました。以上より、アルトゥールの移籍によって選手売却による利益が予算の数字に一気に近づいたことがわかります。

 

4. おわりに 

 

大雑把な概算ではありますが、アルトゥールの移籍がもたらす利益が財政上必要であったと多少は説得力を持って言えるのではないでしょうか。「放出されるのがなぜアルトゥールなのか」という疑問に対する答えも色々あるでしょうけれど、財政面から1つ考えられるのは公正価値と簿価の差額が大きいことです。アルトゥールの他にこの条件に該当しそうな選手はメッシ、ブスケツ、アルバ、ラングレ、テアシュテーゲンくらいでどの選手も非売品感が強いです。もちろん、アルトゥールも非売品のはずなのですが...

ユーベも同様の理由でピャニッチの放出を決めたと考えられます。注意が必要なのは損益改善のメリットは今季のみで、それ以降はトレード前よりも大きい償却費を毎年計上することになります。 選手登録権の償却費の負担が大きいバルサにとって、今回のトレードは浪費問題の解決を先送りにしていると言わざるを得ません。

公正価値の妥当性に関する議論は、これから加熱するかもしれません。アルトゥールはまだしも、今年で30歳のピャニッチに€70mの価値があるかということを疑問に思う人が多くても仕方がないと思います。 

最後に注意事項として、この記事で使用した数字は概算で算出された額に過ぎないので、実際の数字とは異なります。特に、6月30日以前の選手売却の収益をいつ計上するかで全体の数字が大きく変わることに再度言及しておきます。もしも間違った情報や計算がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。